The Nameless City: 4月 2026

2026年4月7日火曜日

相続について

X に書こうかと思ったけど言いたい事多すぎるし読みたい人だけ読めばいいのでブログにする事にした。
自分の記録にもなるので少し脚色しつつ写真も少しモザイクをかけて記録する。

最近SNS で芸能人の子の相続放棄が話題になった。
内訳が明かされてないので詳細はわからないが、相続税が注目され議論される事はとても良い事だと思う。

税率の高さから廃止を望む声、富の分配はするべきと言う声。
制度に賛成の人がルサンチマンでも意見がある事は大切。

ただ子は親を選べない。
どこに生まれ、どんな親なのか。

私も昔から妬まれる側だけど、裕福な人々が集まる土地なだけで我が家は裕福ではなかった。
子供の頃は逆に周りの子たちが羨ましかった。
外食は当たり前、誕生日会なんて自分はやった事がない、なぜうちはないんだろう?
と漠然と思っていた子供時代。
そしてそれが普通で自分は裕福ではないんだと知るのは中学くらいから。

私の父も土地は祖父から受け継いだだけ。
当初祖父はこの土地を借りていたようだけど、地主から買うように言われて金をかき集めて購入した。
実際の契約書類も残っているので名前と細かい住所を隠してここに貼る。


参宮橋に近いこの土地は昭和25年で20500円。
現在の価値換算は難しいけど消費者物価指数は10倍、初任給比較だと60倍ほど。
それでも相当安い。

代々木練兵場は戦後、連合国軍に接収され広大な土地が米軍住宅であるワシントンハイツになった。
近所に練兵場の境界線を示す遺構が残ってる。
その境界ぎりぎりを新宿方面から来る小田急線が走っていて代々木八幡宮を避ける形で代々木上原へと向かう。

明治神宮とワシントンハイツから見て小田急線外側は畑だった。
いくつか建物はあったと聞いてるけど、空襲で焼けてしまったと言う。



当時の登記と思われる書類。
大谷石で囲まれた畑でこのくらい雑でも良かったのかもしれない。
そこへ建てた平屋で小さな家、ここで祖父は大工や家具職人として仕事をしていた。
屋号は残っていないのでフリーランスだったのかもしれない。

これは予想だけどワシントンハイツが返還され東京オリンピックの選手村になってから一気に都市化が進んだのではないかと思う。

父の子供の頃の写真を見るとこのあたりはまだ丘の斜面に草木が生えていた。
近年分かる事だけど丘には代々木八幡同様に竪穴式住居があったようだ。
歌の「春の小川」の元となる河骨川が流れ縄文時代から人が住みやすい場所だったのかもしれない。
そして戦後まで畑を潤してきたのだろう。

父の話では祖父は古い平屋を一部残して解体、廃材を使って新たに自宅を建てたと言う。
父が高校くらいになると祖父と2人で土地の半分の建物を建てた。


その廃材の元と思われる建物を購入した書類も残されてる。
ただしこれは祖父が受け継いだもので購入者は更に前の世代。
複雑な家系図になる、と言うか不明なので関係は割愛。

明治40年に品川の建物を250円で購入、土地ではないのでかなり安い。
しかもまだ海辺の頃だ。
父の予想では祖父はここでも商売をしていたのだという。
そして代々木の土地の家を建て直す時に解体して父と自作住宅を建設と言う流れ。
車なんてないので自転車で牽引したリヤカーで運んだみたいだ。

そして残り半分はちゃんと建設会社に依頼して建てている。
その時の分割支払いの書類などが残ってるので金を集めるのは大変だったようだ。
その新たな住居で育ったのが私と兄の2人兄弟。

祖父が亡くなり父は相続税が発生したようだけど内訳は探し中。
亡くなったのは平成元年、すでに小規模宅地等の特例はあったけど今と違って50%くらいだったかもしれない。
そのせいで控除があっても相続税が発生した可能性がある。

平成元年の段階で路線価はかなり上昇している。
新宿の高層ビル群も近く、代々木八幡側からは渋谷の開発が広がっている中間地点。


Wikipedia より淀橋浄水場付近の航空写真
1956年の写真を見るとすでにワシントンハイツ近くは建物が多い。
淀橋浄水場は空襲でも重要な施設の破壊はまぬがれ1956年だとまだ現役。
高層ビル群が建ち始めるのは1965年以降。
その浄水場近くに東京ガスの巨大なタンクも見える、現在のパークタワー。
初台近くは電電公社などの巨大な施設、現在のオペラシティ。
祖父が購入した土地の周りも6年が経ちもう畑はないようだ。
戦後の急成長っぷりが伺える。

淀橋浄水場から見た貴重なガスタンクの写真などがパークタワーのHP で確認できる。
話しを戻して小規模宅地等の特例は現在「被相続人と生計を一にしていた被相続人の親族」が相続する場合に課税対象を80%減額する制度。
最初に書いた芸能人の子は一緒に住んでいなかったので土地建物に関してはこれが使えない。
おまけに大量にある他の資産や不明な資産、著作物もあっただろう。
相続税はそれを10カ月以内に現金で全納する必要がある。
土地建物もそうだけど売ろうにも売れないものが多いかもしれない。
そのコストや時間を考えたら放棄もありえる。

ここまで書いてきた内容からもわかる通り相続税は必ずしも受け継ぐ側が現金で払えるとは限らない。
子は親も場所も選べないからだ。
そして裕福でなければ親もわざわざ現金を用意してる事もないだろう。
少なくともうちはそう。

父は相続の時に相続人が他にいないか調査するように言われたようであちこち役所へ行ったようだ。
当然一部は震災や戦災で焼失。


しかし一部は残っていた。


名前は隠すけど除籍や分家もごちゃごちゃ。
これは祖父がみなしごとして入った家の戸籍。
安政5年、万延元年、と言う言葉が並ぶ激動の時代生まれの記録。

今はこの家とは関係がなく親戚でもない、苗字だけ引き継いでいる。
しかし祖父が子として入っているので探す必要があったようだ。

父は祖父が残した現金で相続税を支払い無事祖父から資産を相続。
そして転機は2011年の東日本大震災。

半世紀経ち古くなった家は父と祖父が建てた部分と建設会社が建てた部分が割れる形で破壊が進んだ。
表の通りから裏が見えるくらい数㎝の隙間、雨風が入るけど住めないほどではなかった。
2011年の段階では近所からすれば相当古いボロ屋だった。
母も体が悪く古いままでは生活できないほどボロ屋。

そこで私が友人を頼って人を紹介してもらったり助言してもらったりして新たな建物を建てる事にした。
色々あって時間が過ぎてしまったけど2014年にRC 5階建ての立派なビルが建った。


土地を担保にフルローン、賃貸部分で返済する計画。
友人の税理士に聞いて相続の事もこの時に聞いていた。
兄はいなくなり自分だけが相続する事になるけどこれなら小規模宅地等の特例、賃貸部分、控除を考えると相続税は発生しない。

ただ路線価はあがり、ローンが完済に近づくとグラフが逆転して相続税が発生しはじめる。
建物はRC で減価償却があっても土地の価格上昇だけはどうにもならない。
固定資産税も見直しのたびに10%以上と言う恐ろしい勢いで上がっていく。

祖父が20500円で購入した土地を継承し、母も2年間だけだけど快適に過ごせた近代的な住居。
このブログは2015年からなので建って1年ほど経ってから書き始めてる。

そして今年2026年、ぼちぼち不具合が出始めてきたけど建物は堅牢で問題がない。
しかしコロナ禍での経済的大ダメージ、父の高齢化でまた相続の事を考え始めていた。

父は賃貸収入で年収がタクシー運転手時代よりも高い。
しかし返済と税金で余裕がでない、だから建物にまつわる修繕はすべて私が支払っている。
この土地に住み続けるために働いてるような状態。

無理にここを維持する必要があるだろうか?
相続税は問題ない、ただ分不相応と言う言葉が的確だ。
昔は良かった、今はそうではない。

これを書いてる今、アルテミス2計画を見てる。
アポロ計画よりも遠くへ人類が到達するさまを数秒のラグがあるだけでリアルタイムで見てる。
アポロ計画の時は生まれてないけど、この歳でまさか人類が再び月軌道上を周回する様を見るとは。
自分も新たな人生を考える時かもしれない。